セミは鳴き始めたけど、あいかわらず日差しは夏っぽくない。
このまま蒸し暑いだけではっきりしないような夏が続くならば夏はいらない。
というわけで「こんな夏なら夏を拒否する同盟」作ります。
だれかバナー作れ。おいらは暑いからパス。
ちょっと頼まれごとで少しマジメな文章書いてました。
とんでもないところからとんでもない依頼。
責任半分・楽しみ半分でカリコツカリコツ書いてたんだけど……。
いやーおいら文章下手くそになったなあ。
考えてみれば二年半もこんな適当サイトで適当テキストを適当に書きなぐってて、
これっぽっちもルールのある文章書いてこなかったわけで、そりゃ腕もなまります。
かつては「まかせな、俺はどんな文体でもそれなりにこなすぜ!」とかいきがってたわけで、
余計に「うわあ、書けねえ俺様ちゃん。前なら書けたのに! 書けたのに!」と
前のイメージがあってよけいにキツイ。
半ば半泣きになりながらも書いてました。
共同執筆な上に、多分無記名、修正入りまくりなので、あえて紹介しませんが、
あとでこっそり「あれ書いたの俺」って公表するかもしれませんが、
とりあえず何書いてたかは秘密。苦しさ半分・楽しさ半分でした。
と、以上更新遅れまくりの言い訳でしたとさ。
ちょいと女の子に送るプレゼント探しに上野はアメ横へ。
アメ横はじつに怪しい街だけど、いいものを安く買うには便利な街。
あの火事になったらまず生き残れない構造と客引きとお上りさんと昔カタギなヤクザさんに
耐えられる方ならばオススメ。
昔、信号待ちしてたら、横にスッとたった人が、顔に大きな刃物傷のある、
もう見事な映画以外では見られるとは思えないようなヤクザスタイルな人で、
いつ広島弁で「広島ヤクザは金で解決しないけんのう」と言い出すかドキドキしつつ、
あまりにまんまなんで面白くて面白くて笑いをかみ殺して、
笑ったならなにされるかやっぱりドキドキした複雑な記憶があります。
そんな街でいろいろあさる。
15分程度で飽きる。
うーむ、イメージなしに贈り物を捜すのはむずいのう。
よく判らなくなったので御徒町付近の立ち呑み屋に避難。
上野辺りは昼間っから酒が呑める数少ない街の一つで、
酒呑み天国なのですが、その立ち呑み屋は
おいらが今までの人生で知ってる、もっとも安い値段でお酒が呑める店。
尋常じゃない安さ。
なにしろサワー類は200円。つまみは100円〜300円。
内装は立ち食い蕎麦屋をちょっと広くした感じ。
みんな壁に向かって、黙って酒を呑んでいる。
食堂形式に小鉢に並んだつまみを適当にとって、レジにもってく。
あわせて400円。安いなあ、ホント。
一緒に酒を頼む。で両手に持っておいらも壁に向かって立つ。
でグビグビ。プハー。昼酒おいしー。
まわりを見渡すと、まーどこでそろえたのこのエキストラさんといった感じの
雰囲気のイイおっさん連中。昼間っからムスっと酒呑んでます。
みんな職業とか正体とか不明。
あのおっさんのほっぺたのコブすげえなあ。こぶとり爺さんみたい、とか
あのサラリーマン風の人、仕事さぼってのかな、とか
スゲエ年増だけど明らかに素人でないお姉さんの素性、とか
なんかいろいろ面白い。あんたら最高。
おいらもその態度を見習って、煙管を出して一服。
ついで愛用のIpodを耳に入れてに電グルとか聴きながら酒呑んじゃう。
新しいんだか古いんだか若いんだか更けてんだがわかんない。
端から見たらコイツこそ何やってる人か判らんと思う。自分でも判らん。
つまみには安物だしサワーだって家で呑むとかわりなし。
口に入るものでいったら家で呑むほうが安いだろうけど、
酒つーものはやっぱり呑む場所の雰囲気とかによって味が変わるもの。
ドラッグ的に言えば「セッティング」でキマり方が変わります。
家で呑むよりもやっぱりこういううらぶれた立ち呑み屋もいいもんです。
あんまり良かったんで、もう一杯お酒とお新香なんかをつまんで呑んで、
適当に煙草吸ってのんびりしてから外に出る。
外はもちろんまだまだ日が高い。
立ち呑みってのはさっと出るのが礼儀ってもんさ。
ていうか立って呑むからあんまり長居はできません。正直。
二杯だけど、結構ほろ酔い。で、そのまま上野を後にした。
プレゼント探しはまた今度。
で、そのまま学校へ。二杯だけだし酔いもそのうち醒めるさー。
で、学校でアル中で身を崩した男のドラマ番組のビデオを見せられる。
……なんかもう。
たまには短いスパンで更新してみる。
夏休みのせいか、アクセス多めです。
小中学生の常連の多いサイトさんからのアクセスが急増中。
わかい人がみても面白いサイトじゃないのにねえ。(煙草吹かしつつ)
午前中でその日の用件が片づいて、久しぶりにあとの時間がまるまる空いた。
ホントに差し迫った事柄もないし、暑いのでジンを呑む事にした。
最近は昼酒に対する抵抗が全然ない駄目人間です。
ジンは冷凍庫でキンキンに冷やすに限る。
場合によってはビールなんかよりも夏の飲み物としてはウマイ。
それにしても今日は暑い。
あまりに暑いのでエアコンなんてものは切ることにした。
こうなってしまっては暑さと対抗しても仕方ない。むしろ暑さを楽しむようにするしかない。
とりあえず窓を全開にして風を通るようにする。それでも暑い。
それからキンキンに冷えたジンをくびぐび呑んだ。
つまみは茹でたソーセージ。ケチャップと粒マスタードでいただく。
ホントはちびちび呑むべきジンをカパカパあけていたら適度に酔いが回ってきたので、
爆音でブルーハーツをかけながら踊り狂う事にする。
なにしても暑いならばあえて暑苦しいことをしよう。皮ジャンは着ないけど。
小一時間ほど暴れて判った事はリンダリンダのジャンプは結構高く跳ばないできないことと、
俺の股関節は想像以上に硬いってことだった。
あと酔っぱらって暴れると意外と涼しい。
パンクスが夏でも皮ジャン着てて平気な理由をちょっぴり理解。
予定通り汗だくになってよっぱらったので、スパゲッティーを茹でて、
インスタントのペペロンチーノを作ってかっこみ、汗だくのまま昼寝をした。
窓全開のまま、ブルーハーツ爆音のまま。未来は僕らの手の中。
目が覚めたらもう外は暗くなり始めていた。
「酔い醒めの水千両と値が決まり〜」なんて江戸川柳を口ずさみつつ、水を飲んだら、
そのまま自転車に乗って夜の散歩に出た。
夏の夜は蒸し暑いけど、日差しがないから自転車を飛ばしていると意外と過ごしやすい。
湿気と熱気を含んだ空気の中を走るのはどこか水の中を走っているような感じ。
夢の中の歩行にも似た感じか。
ゆっくりと質量の感じる空気の中を走る。やっぱり汗をかく。
とにかく適当に走った。
知らない場所に25メートルプール一つだけの小さな区民プールがあって、
しかも遅い時間までライトで照らして開いているのを見つけたり、
知らない町の盆踊りに遭遇したり、普段とは違う風景を楽しむ。
ますます夢の中っぽい。暑いけど。
そうこうしているうちに腹も減ったので適当なお店で冷し中華喰って、ビール呑んで帰ってきた。
面白がって3時間ほど散歩していた。
帰宅してからシャワーの気持ちいいこと。
あえて暑さを楽しむというのも夏を乗り切る方法の一つじゃないかしらん。
世間はお盆休みだそうですが、仕事してます。
むしろ小売業は人様が休んでいる時に働いて、
人様が働いてるときにはベランダでガハハいいながらお酒呑むのが正解のようです。
そんなわけで世間は、休みだコミケだ高校野球賭博だと言ってる中働いております。
今年は忙しくて放浪の旅には出られそうにないなあ。
セミの声が聞えてくると、寝袋一つで旅に出たいハリでございます。
つーかあついんだよコノヤロウ。
今年も8月15日がやって参りました。
そうです、ルネ・マグリットの命日です。
ピレネの城とか大家族とかで知られるシュールリアリストの。
何年か前に日本で展覧会やったときは観に行ったなあ。
……あ、そんなボケはいいですか。
というわけで終戦六十周年です。
とはいうものの六十年っていうともちろん僕らは生まれていない昔のお話で、
戦争を知らない子供たちももう三代目に入ってたりするわけです。
日本が最後に関わった戦争からとっくに半世紀が過ぎているわけで、
やっぱりあの戦争はもう歴史になってしまったといえるのではないでしょうか。
少なくとも僕らの世代の感覚はそんな感じじゃなかろうかと。
じゃあこの終戦記念日はなんのためにあるかというと、あの戦争について考えてみる日、
もっといえばそんなことがあったということを意識する日といえるわけです。
というわけで今日はちょっと戦争の話なんかしてみる。
最近、というかここ十年くらい、新歴史史観と呼ばれる、
「あの戦争において日本は一方的に悪かったわけではない!」という歴史観が出て来てます。
確かに太平洋戦争を日本=悪、アメリカ=正義という単純な図式で現すのは無理なわけで、
あの戦争が過去になればなるほどに、もう一度あの戦争について考えよう、
太平洋戦争を評価しようという潮流が強くなってくるのも判ります。
でもなあとその流れを見つつ、おいらは思います。
それでも。
それでもあの戦争は間違ってなかったと言えるはずがないと思うのです。
ていうか全ての戦争は間違いでしかない。これははっきり断言できる。
数千年の人間の歴史の中で一体どのくらいの数の戦争が行われてきたか判りませんが、
その原因、規模に関わらず「あれは間違ってない戦争だ」「あれはいい戦争だった」
なんて言える戦争が一つでもあったんでしょうか。
いやあるはずもない(反語)
その歴史的背景や内容に関わらず、戦争は必ず不幸な人間を生む。
生まない戦争はありえない。
「これは聖戦だ」と口した人間はいくらでもいたけど、
その言葉の犠牲になった人間の数はさらに多い。
大義名分があろうがなかろうが、戦争なんてものはやっぱり絶対悪なのだ。
だから太平洋戦争にしたって、アメリカの描く歴史観が正しかろうが、
最近の歴史史観が描く、アジアの抵抗としての太平洋戦争観が正しかろうが、
それがあの戦争の正当性の証明にはならない。
どっちに正義があったなかったなんていうのは二次的な物に過ぎず、
いやもっと言ってしまえば、そんなものは幻想にすぎないのではないでしょうか。
歴史観ってのは歴史をどう見るかに過ぎず、正確に表現しているものじゃない。
全ては嘘。どんな歴史観も戦争を正しく描く事なんて出来ない。
本当は死んだ人達だけ。
戦争という状態の犠牲になった人達だけ。それだけがホント。
何万人死んだなんて数値が大事なんじゃない。
死んでいった一人一人が唯一のリアル。
そしてその戦争の責任ってのは誰の物でもなく、その戦争に関わった全ての人が悪い。
どっちが悪いなんてない。戦争その物が悪いのだ。
だから僕は太平洋戦争を評価する気になんてならない。
あれはやっぱり「悪い戦争」なのだ。
だから僕は全ての戦争を否定するし、全ての軍隊を否定する。
どちらも百害あって一利もない。
現在は現実的に手放す事が難しいとしても、将来的に
人類は「戦争」だの「軍隊」だのといったものと手を切る必要がある。
たとえ世界平和というのが理想主義者の幻だろうと、それは目指すべき目標だろう。
厭戦主義結構。
理想主義者の見る不正義の平和の方が現実主義者の見る正義の戦争よりもナンボもましなのだから。
そのことを、戦争の悲惨さ、不条理さ、無意味さを教えてくれるあの戦争の全ての犠牲者たちに、
僕らは感謝すべきだし、その新しい仲間になることだけはやっぱり拒否しなきゃいけないと思う。
八月十五日って日はそれを再確認する日なんじゃないだろうか。
あの馬鹿げた、それでいて一つも笑えない日々の最後の日として。
あれが最後でなきゃいかんと思うのです。
ええ、全く。
すっかり風も雲も秋の気配が出て来ました。
暑さはまだまだ残っているけど、夏もそろそろ終わりのようです。
俺今年、夏っぽいことなんにもしてねえよ。泳いでねえよ。スイカ喰ってねえよ。
ゆく夏を力一杯惜しんでおります。ハリです。うっす。
夏に限らず季節に変わり目というのはどことなく寂しいですな。
ゆく季節を惜しむのも日本の美学って奴でしょうか。
春にしても秋にしても。……冬って惜しまれてないな?
最近、妙に夜空に浮かぶ月が綺麗だ。
秋が近いからだろうか。
しかし秋になると月が綺麗に見えるってのはなんだろう。どういう科学的根拠だ?
いやまあ、それはとにかく。
ベランダでお酒呑んだり煙草吸っている最近のおいらの駄目人間夜更かしスタイルにとって、
月が美しいのは大変よろしい。素晴らしい。サイコー。
いっつも思う事だが、地球には月という衛星が一個だけあって良かった。
3つも4つもあったらうっとおしい。1つだけの月が輝いてるからいいのだ。
ガニメデとか他の惑星の衛星みたいで凸凹してなくてカタチもいい。
丸く美しい色カタチした衛星が一個だけ空に浮かんでいるというのがよろしい。
ワガママを言えば、怪物君の背景みたいにもっとでっかくて、
眺めていても飽きないくらいの大きさでも良かったかな。いやそれだとやっぱり煩いかな。
それはとにかく、おいらは真夜中に月を眺めるのが好きだ。
地球に月があってホントに良かった。
それにしても月とは不思議な天体だ。いろいろ謎がある。
例えば月と太陽はもう比べるのも馬鹿らしいほどに大きさが違う。
ところが地球から見た大きさはどういうわけかほぼ同じなのだ。
たとえて言えばお台場の砂浜に立ってフジテレビの屋上のアレと手のひらの上のピンポン玉が、
おんなじ大きさに見えるような角度で眺めているようなもんで、
全然大きさは違うのに地球からはおんなじにみえる。
昼間の太陽と夜の月、対比される存在が偶然にもみためがおなじ大きさというのは不思議だ。
もう一つ、月も自転しているわけだけど、地球の公転がそれにうまくリンクしていて、
月は地球に対しておんなじ向きばかりみせるように回っている。
どうやっても地球からは月の表側しかみえないのだ。
そんなわけで月の裏側になにかがあるという珍説が昔からあった。
まあ探査衛星によって裏側もそんなに表と変わらないことは証明されているんだけど。
それにしてもこれも偶然にしちゃあよくできている。
オカルトな業界では、「月は人工物だ!」なんてことがたまに出る。
偶然にしてはあまりによくできた天体だ。
そんな珍説を信じるつもりはぜんぜんないけど、月ってやっぱり不思議だ。
たまにはそんな迷信をあえて信じてみたくなるときもある。
地球から36万キロ。いけそうでなかなかいけない場所。
人類の到達した一番遠いところ。それでいてどこからでも容易に見られる場所。
もしも月が何者かによって作られた人工物なのだとしたら、その作り手はなかなか粋だ。
距離といい、大きさといい、よくできている。
きっと夜の空があんまりにも寂しいから太陽の代用品として作ったんだなあ。
そんなことを妄想しつつ、月を眺めながら吸う煙草はなかなかウマイ。
願わくば、やっぱり死ぬ前に一回、月にはいってみたい。
いけそうでなかなかいけない場所。
月に行けば、もしかするとそれを作った誰かの痕跡を見つけることができるかも知れない。
そんなもんが見つからなかったとしても、月の何もない大地に立ってみたい。
人類の辿り着いた地の果ての入り口。人間のいける一番遠いところ。
そこに立って「ここが世界の果てだ」と寂しい気持ちになってみたい。
それからその不毛な地平線に登る地球を見て、せっかく36万キロも旅してきたのに、
「早くあそこに帰りたいなあ」なんて気持ちになってみたいもんだ。
そしてポケット瓶からグビリと酒を呑みたい。きっとうまいだろうなあ。
と、妄想しつつ、呑む酒はうまいです。グビリ。
先日、夜中に大学時代の先輩から呼び出されて真夜中のドライブにいった。
でもって、夜明けの九十九里海岸にいってきた。
九十九里の名前のしめすとおりのだだっぴろい海岸には誰もいなくて、
遠くが霞んで見えた。でもって大きな波がざぶんざぶんと砕けていた。
んー。なかなかプチ世界の果てでした。
でもってそのあと牛久大仏を見て帰る。
非常識なほどでかい大仏。
うわさどおりのへんなとこでした。
そのうちあそこでファミコン君やろっと。